SFアニメ好きにはたまらない何度見ても楽しめる攻殻機動隊シリーズがアマプラで見直しました。
推しはSAC
攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックスは以前から何度も見返すほど大好きなシリーズです。
電脳化や義体化をする人が多い近未来の世界で起こる様々な事件を解決する公安9課の活躍を描くSFアニメの金字塔です。
派手なアクションや電子戦も見応えあるが、なんと言ってもタチコマの魅力
電脳を駆使した電子戦や、サイボーグの派手な戦闘シーンも見応え十分ですが、この作品が描きたかったのは高度なデジタル世界でもネットの深さでもなく、生命についての認識だと思いました。
攻殻機動隊の世界では、人とは何か、魂の存在はあるのか、生命とは何かという哲学や倫理といったものについて考えさせられます。
ゴーストとAI
作中では何度もゴーストとAI、双方が引き起こす事件が描かれています。しかし、各話を見ていくとその線引きは曖昧だったりキッパリと分けて描写されたりと、世界観設定の深さに引き込まれていきます。
ロボットやアンドロイドがどれだけ高度に進歩してもゴーストを獲得することはない。と表現されている。
しかし、人間がどんなにサイボーグ化を進めてもゴーストは損なわれない。しかし、腕時計やタバコ、酒などのこだわりや生活習慣を一種の外部記憶装置として手放せないサイボーグが描かれる。
ゴーストとは人が生まれながらにもつ自我や個性、魂と言ったものを指します。
タチコマのAIの成長
この作品の魅力の一つ、タチコマ。
タチコマは自律思考型AIを搭載した多脚戦車という設定で、公安9課に複数台配備されています。
戦車ですが人が搭乗していなくてもAIによって自ら行動することができ、会話もできます。
また、任務や日常の会話などから得た経験は全てのタチコマへ並列同期され個体差なく成長していくことができます。
無垢な子供のような声と仕草でまだ生まれたばかりのAIという印象を与えますが、登場するたびに体験したことへの反応や会話の内容が高度になっていくことも見てとれます。
仲間のタチコマが敵戦車に撃たれると
任務の度に並列化されゴーストを持たないことから死や感情といった概念を理解できないと表現されています。
そんなタチコマ達の1台が敵の戦車の銃弾を受け行動不能になります。それを見た他のタチコマたちが、驚きの発言をします。
「良いなー!壊れたよ!構造解析とかされちゃうのかなー?」
死を認識できないAIなので壊れるという現象に対して恐怖することはないものの、新たな経験を得たタチコマに対し羨ましがるような発言をします。
並列処理されているにも関わらず、”自”と”他”を認識しているのです。
この辺りからバトーさんに可愛がられる特定のタチコマがいたり、やたら疑問を投げかけるタチコマがいたり、本を読むことにハマっているからタチコマたちの会話に参加しないタチコマがいたりと”個性”のようなものを獲得し始めます。
異常に成長するタチコマたちを管理する9課の対応は
タチコマたちの成長は喜ばしいことばかりではありません。基本的には戦車なので彼らは公安9課の装備であり兵器なのです。
誰がどのタチコマを装備として使用しても個体差なく機能を発揮できることが前提条件なのです。
そんな9課の何気ない行動を見たタチコマたちは、
「最近、少佐の僕達を見る目が怖い」
とバトーさんにこぼします。
そしてさらに、その理由を自分たちが獲得した個性のせいではないかと人の感情に対する推測までしていたのです。
個性や死について考える中で、神とゼロ、有機体と無機体のゴーストの有無などもAI独特の言い回しで、タチコマなりに考えているという事実も発覚します。
少佐はそんなタチコマたちを、研究所なら喜ばしいが、兵器としては論外よ。とバッサリ結論付け、タチコマたちの運用禁止と武装解除、ラボへ送ることを決定します。
“死”の概念を理解しかけてはいるものの、基本的にはコピー可能な複数の並列AIであるタチコマたちはいざラボ送りとなっても恐怖などは感じていない様子で、悲しい歌を明るく歌いながら、バトーさんにバイバーイと手を振ります。
おそらく完全に生と死、ゴーストらしいものを完全には理解できていなかったからこそのタチコマたちの反応でしょうが、作品を見ている側からすると可哀想でもあり、と同時にこちらも生と死、ゴーストについて深く考えさせられます。
自身に置き換えると、子供のことについて考えてしまいます。
子供から死について質問された時に、はたして分かりやすく伝えることができるのか、伝えることができないのならば、本当に自身は死について理解しているのか。。。
ただの派手なSFアニメではない、生命について常に考えさせられる作品です。
そしてタチコマの最後は。。
ぜひ独自の成長を続ける可愛いタチコマたちのラストシーンはご自身で見ていただきたい。
コメント